新たな挑戦 [20回目の1.17]

scan105 本日1月17日は阪神大震災から20年とのことで、朝から各報道メディアで特集をしている。この震災で被害を受けられた方々には、歩んでこられた苦難の日々に改めてお見舞申し上げます。

 思い起こせば20年前の早朝、普段は朝に観ないテレビをなぜか点けた。そこには、変わり果てた神戸の姿が映しだされていた。私は1月からアウトドア用品輸入商社のユニコに入社し、千葉に引っ越したばかりだった。

 千葉では揺れを感じることもなく実感はなかったが、出身の大阪には実家があり、京阪神に知人も多い。情報はまだ限定的で、大阪の状況がよくわからない。慌てて実家に電話したら、幸いなことに実家には大した被害は無かった。

 ひとまずホッとして電話を切ったが、さて次はどうする? 出勤間際でそれほど時間は無いし、安否の心配な友人知人が多すぎる。SNSはもちろん、Eメールさえ普及していない時代なので、リアルタイムの連絡手段は電話しかない。フッと思い出したのは、住み慣れた関東を離れて尼崎に赴任していた大学サイクリング部の後輩。震源にも近いし、彼にとっては土地勘も身寄りもない土地で、不安を感じているかもしれない。関西に馴染んた知人は後回しにして、彼に連絡を取ることにした。

 ところが、電話をかけてもなかなか繋がらない。電話の集中や回線の切断で繋がりにくくなっていたのだろうが、何回目かのかけ直しで何とか繋がった。幸いなことに後輩も大きな被害はなく無事との事だった。

 後輩への電話を終えて出勤したが、仕事中も関西の様子が気になって仕方がない。一方で関東の住民の多くにとっては遠く離れた土地での災害であり、変わらぬ日常を過ごしている。逆の立場であれば自分も同じように振る舞うとはいえ、そのギャップがショックだった・・・。

 

 それP8261266から丸20年間。後輩は、震災ボランティアで出会った女性と結婚した。神戸は少なくとも外見は見事に復興し、今度は東日本で大震災が起きた。私は大阪のユニコ本社に転勤し、結婚。長女が産まれた年に始めたノリクラ(全日本マウンテンサイクリングin乗鞍)は、成長した長女と共に出場するところまでずっと続いてきた。昨年はブルベにも初挑戦した。

 大震災から始まった私のユニコ人生も、丸20年間。ユニコはいつしかアウトドアから自転車専門の業者になり、輸入だけでなく独自商品の開発も開始。気が付けば私は最古参の従業員になっていた。公私ともに自転車に囲まれた生活は充実しており、営業、広報、経理、総務、ネット関連といった雑多な業務にも意欲的に取り組んでこられた。

 だが、近年は自分の成長が鈍化していることを痛感していた。多様化した日常業務に追われて、新しいことに取り組む意欲も薄れがちになり、結果も着いてこなくなった。

 何年も考え続けた。そして、丸20年という節目に、居心地の良い巣箱を飛び立ち新たな挑戦をすることを決断した。もはや自分と完全に同化していたユニコと、間もなく別れを迎える。

140907_101348 とても寂しく、これからのことを思うと大きな不安も感じる。一方で退職を決めてから、ユニコという枠内で行動しているうちは見えなかったことに色々と気づいた。「見えているつもり」「わかっているつもり」でも、実は見えていないことが沢山あったのだなあと。これは新鮮な驚きであり、環境を変えれば視野も変わるのだということを痛感した。

 2月からは新たな職場で働き始める予定だ。勤務先は変わっても、また自転車に関わる仕事になる。公私ともに自転車漬けの生活は、これからも続いていくだろう。

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