趣味のタイガース


 私が阪神タイガースタイガースになったのは、幼い頃から聴いていた大阪の朝日放送ラジオの番組「おはようパーソナリティ道上洋三です」の影響が大きい。

 関西のタイガースファンなら『道上洋三』の名を知らない人はいないだろうが、この方は根っからトラキチの朝日放送アナウンサー。現在も放送中のこの番組は、1977年にスタートし、すでに30年以上続いている超長寿番組。一見普通の朝のラジオ番組だが、タイガースが勝った翌日には応援歌「六甲颪」を熱唱するという、他の地方では信じられないような番組。道上さんが両親と同じ山口県出身ということもあり、我が家では毎朝この番組が流れていた。

 とはいえ、幼い頃から漠然と阪神を応援していたが、実のところ私は「熱狂的」というほどのファンでは無かった。強烈にタイガースを意識するようになったのは実は大阪を離れてからだ。大阪にいるときにはタイガースは空気と同じように常に身近にあった。しかし中三で引っ越した名古屋では、野球中継は中日戦や巨人戦ばかり。両球団に絡まない阪神の試合をTVで見れないばかりか、ラジオでさえ中継しないことがあるのだ。至極当り前のことだが、これは結構衝撃だった。なにせ大阪では阪神戦はサンテレビで、試合終了まで完全中継されるのが当り前だったからだ。これは(たとえ巨人戦でもありえない)日本で唯一の珍しいことだということは大阪を離れるまで、意識しなかった。

 カルチャーショックを経験した後は、自分が大阪育ちであるというアイディンティティに目覚めてきた。かくして私は敵地名古屋で1985年の優勝を迎え、高校の教室で六甲颪を歌って級友を激怒させるような立派な(?)タイガースファンとして成長を遂げたのでした。

 やがて敵地東京ドームそばの大学に進学した私は、自転車をタイガースカラーに仕上げ、応援旗をたなびかせて日本中を走り回りました。目立つ自転車のおかげで声をかけられることも多く、友達作りのいいきっかけになりました。

 この「猛虎弐号」は1988年7月に作成した、初めてのオーダーフレーム。オーソドックスなランドナーフレームだが、右フォークにヤジロベー(トモダ製のライト用アタッチメント)をセットするダボを設けたり、輪行を容易にするためにディレーラーのプーリーをチェーンレストとして使用できる特別加工をしていた。ダブルボトル仕様にするためにポンプダボを右シートステーに設け、キャンピングキャリアとマッドガード用に各エンドに2個ずつ(計8個)のダボを設けた。

 大学時代はトラディショナルな自転車にさして興味はなく、実用第一主義だったので、ブレーキやトランスミッション系パーツは『当時』の最新パーツ、デオーレXTを中心に使用した。この当時は私もシマノ党だったのだ。

 大学2年生から2年半ほどの付き合いだったが、日本各地を走り回り、数々の思い出を共有した自転車だ。現在も使用している「猛虎参號」が完成する頃に、タイミングよくチェーンステーのフタにクラックが入り、使用を断念した。サイドバッグをつけた重装備で未舗装路を檄走するなど、酷使をしたため寿命を縮めてしまったのだろう。

 今もこのフレームを保存している。現役の頃は阪神の最下位しか経験していない自転車だったので、いつか優勝の美酒を共に飲む日まで処分はするまいと思っていた。2003年、2005年と念願のリーグ優勝を果たしたが、ここまで来ると「日本一」になるまで処分はできそうにない。









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